
プロフィール
PROFILE
松下 昌代(まつした まさよ)
転勤族の夫と結婚した矢先に義母が急逝。当時、朝霞市助役を務めていた義父を支えるために夫の故郷である朝霞市に移り住み、25年。子育てをしながら地域の中の様々な課題に気付き、よりよい朝霞をつくるために政治家を志す。
愛知県立大学卒業後、安田火災海上保険(現 損保ジャパン)入社
平成23年:朝霞市議会議員 初当選
平成27年:朝霞市議会議員 2期目当選
平成31年:埼玉県県議会議員選挙 次点
令和4年:明治大学 公共政策大学院 ガバナンス研究科 修了
令和5年:埼玉県県議会議員 当選
令和7年:朝霞市長 就任
Q&A
好きな食べ物は?
ご飯とご飯がすすむおかずが好きです!
朝霞市で元気をもらえる場所は?
旧高橋家住宅と、島の上公園の展望テラスです。また、地域の皆さんとお会いすることで元気をいただいています!
座右の銘は?
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の成さぬなりけり」
休日は何をしているの?
緑ある場所へのんびりしに行きます。これからはライブも行きたいです!
人生で最も大切にしていることは?
「実るほど首を垂れる稲穂かな」
人に対して謙虚な人でありたいです。
また「知行合一」
知識と行動を併せ持つことこそが私の行動指針です。
コラム
1. 結婚、転勤専業主婦から政治の道へ
私は「みそかつ」「ひつまぶし」「名古屋嬢」でおなじみの愛知県名古屋市に生まれました。実家は祖父、祖母、両親、妹という今では珍しくなった3世代同居家庭で育ち、大学卒業後OL生活を経て、当時大手石油会社の名古屋支店に勤めていた今の夫と合コンで知り合い、結婚しました。
この結婚が私の運命を大きく変えることとなるのです。
結婚式の数ヶ月前に夫に辞令が下り、新婚生活は会社の社宅があった千葉県船橋市で始めることになりました。不慣れな土地で派遣OLなどをしていたのですが、まもなく妊娠がわかります。しかし運命は皮肉なもの。夫の両親に報告した翌日、義母が検査入院してしまい。そのまま帰らぬ人になりました。当時埼玉県朝霞市の助役を務め、気丈だと思っていた義父が泣き崩れうなだれる姿に、何とか心の支えになろうと、朝霞市に転居することを夫と決意します。
平成13年に長男を出産します。母という立場になり、この頃から息子が大人になった時の未来に漠然とした不安を感じ始めました。母という目線、生活者としての目線で地域を見てみると、コミュニティが意外と希薄であること、公園でのママ友との会話では小学校の学級崩壊が深刻であること、多くのお年寄りがひとりで暮らしていることなど、母になるまで気がつかなかった多くの問題がこの地域にもあると感じました。
2.専業主婦から政治の道へ
そんな折、夫が勤めていた会社を退職。この地域で生きていく覚悟をもって自営業を始めます。何不自由ない生活を送っていた私たち夫婦にとっては試練の日々がやってきました。商売は資金繰りが大変です。買い集めたブランド品を次々に売却したのもこの頃です。
数年が経ち、徐々にではありますが生活にゆとりが生まれてきました。
私は以前から感じていた漠然とした不安を解消するために、今の社会の状況について本や勉強会やボランティアへの参加を通じて学び始めることになります。しかしそれは同時に、学べば学ぶほど今の社会の状況に不安になり、子どもたちの未来のために自分は何ができるか、何か行動できないかと模索する日々となります。

そのような中で縁あって、ある政党の政治塾に参加する機会を得ました。政治塾で多くの社会の問題について仲間と切磋琢磨しながら議論する中で、自分たちの世代、つまり現役の子育て世代の政治への参加の必要性を痛切に感じました。多くの学びの中で、私の中で自然発生的に、この地域がもっともっとコミュニケーションが活発になり、子どもを安心して育てられる、夢ややさしさに溢れる街になるように、妻・母・女性として生活に直結している政治に取り組む決意を固めました。こうして、朝霞市議会議員になるべく活動を始めました。
そして、2011年12月の朝霞市議会議員選挙で当選させていただきました。
これが私の原点です。
3. 女性政治家として
市議会議員になってから、就職・結婚・出産といった自らの将来ビジョンが描けない大学生、家庭と仕事の両立に悩むワーキングマザー、正社員としての安定した仕事が得られないシングルマザー、お母さんとして家庭をしっかりと守っている女性など、世代や環境の異なる多くの女性と話をする機会が増えました。意見を交換する中で、立場が異なれば真逆の考え方や捉え方があるのだと気づかされます。また、それぞれの立場で反目したり、非難したりするのではなく、お互いがお互いを認め合う多様な観点で社会や地域をみんなでつくっていくことが必要だと感じます。
日本におけるこれまでの地域づくりはどの街であっても比較的、男性のリーダーシップによって成り立ってきました。地域の活動においても町内会、商工会、お祭りなどの行事もそうですし、それは政治の分野であっても同様です。しかし、それでは社会の多様性をお互いが認めあうという意味では不充分です。例えば待機児童の問題であっても、男性目線で長い間インフラ整備が行われてきたため、そこに視線が向いていないままに放置され深刻化した結果だと思います。今後一層の政治の女性参加を促すような仕組みづくりや意識変化を促すきっかけをつくっていきたいと思います。政治分野においても人材の多様化を一層進めていく必要があります。
ただし、女性の社会進出は、仕事を通じてだけでなく、子育てをしながらであっても地域のコミュニティに参加したり、身近にあるちょっとした課題を解決するために家事の合間に行動してみたり、といった本当に自分の身の丈にあった簡単なことから始めることであっても、充分に社会に多様で新しい発想、価値観、問題提起などをもたらすことが可能です。また、そうした方を地域活動している年配の方や行政の職員も求めているというのも事実です。一人ひとりのちょっとした行動が社会を活性化し、まちを豊かにしていくと思います。
4. 朝霞とともに
朝霞市は、人口減少と言われている日本の中でも、いまだに人口が伸び続けているという極めて珍しい都市です。これは単に地理的な優位性・交通の利便性ということだけでないと思っています。
この限りない可能性を秘めた朝霞をさらに、一歩先へ、もっと先へ発展させていくためには、これまでの朝霞の歴史や経緯をしっかりととらえながらも、過去の発想にとらわれない知恵と工夫と情熱が必要であり、市民の声に耳を傾けながら「朝霞を住んでみたいまちナンバーワンにする」という私の将来ビジョン実現に向けて一層取り組んでいきます。そして市議会議員になってわかったことがあります。まちづくりは、行政の力「公助」だけでは限界があります。地域に住むひとたち同士の「共助」「自助」があってこそ、まちはよくなるのです。
朝霞で子どもを産み育てている私は、このまちの人の心の温かさをよく知っています。
私のような平凡な主婦であっても、ちょっとしたきっかけで一歩を踏み出すことができた。是非多くの女性に政治を身近に感じてほしいし、地域の活動にちょっと踏み出す勇気を持ってほしいと思います。
(2019年 執筆)